#68 顔を見せて、市民と向き合うこと
68投稿目です。
昨日(11/6(金))、川西市議会は賛成多数で議場での覆面着用を認めました。
私は反対です。
その理由を、記します。
選挙のとき、私たちは市民の前に立ちます。
顔を見せ、名前を名乗り、目を見て『任せてください』とお願いし、一票を託していただきました。
市民が見ているのは、政策だけではありません。
この人は、逃げずに私たちと向き合ってくれるのか。
その姿を見て、判断していただいているのだと思います。
一つお伝えしておきたいことがあります。
私は、ビリーさんと個人的に交流があります。京都や大阪まで、プロレスの応援に行くほどです。
彼の応援団の中心で熱心に応援されている方は、元々私を応援してくださっていた方で、私もとても親しくさせていただいています。
だからこそ、彼が替え玉をするような人ではないことも、その人柄も、よく分かっています。

(長男次男ともに大阪プロレス大好き。京都へ大阪へもちろん川西でも、応援に駆け付けます。)
私が問題にしているのは、彼の人柄ではありません。
そして、私が反対しているのは、あくまで議会に係る活動についてです。プロレスのリングでの活動はもちろん、個人の政治活動についても、ご本人が自由にされるべきであり、それを制限するつもりは一切ありません。
私は、議場、委員会、そして議会に係る全ての公の場での覆面着用に反対です。
議長が本人確認を行うこと、慰霊祭や告別式では着用しないことなど、一定の条件を示されたことは承知しています。
また、彼が覆面姿で立候補し、当選したことも事実です。
しかし、選挙で一人の議員が選ばれることと、議会という場全体のルールをどう定めるかは、別の問題です。
条件が付いたとしても、「議会に係る公の場全体をどうするのか」「他の議員との公平性をどう保つのか」「将来の基準になるのか」といった問いは、残ったままです。
理由は、3つあります。
一つ目に、顔は信頼の証 だからです。
議場で、公の場で、どのように市民の皆さまと向き合うのか。
その姿が、そのまま議員としての姿として受け止められます。
市民の方の中には、「議会ではマスクを取って活動しようよ」という感覚を持たれる方もいらっしゃいます。
11月2日(月)、介護関係の協議会に出席した際、
『高齢者の方々との話の中で、覆面をされた方と話すことに不安を感じ、信頼を持てない。』
と、在宅を支えている現場の方々からこのような声がありました。
議員が果たす役割は、
税金の使い方、子育て、福祉、まちの未来を考え、市民の暮らしを守るために、
様々な立場の方の意見を聞きながら、その重い決断をしていくことです。
二つ目に、覚悟に差があってはならない からです。
議員は皆、顔と名前を公にして議場に立っています。市民に対する「私は逃げません」という約束です。
厳しい批判を受けることもあります。つらい言葉を、直接ぶつけられることもあります。
それでも顔を出して、自分の言葉に責任を持っています。
同じ議場に立つのであれば、同じ覚悟を背負うべきです。それが公平性だと、私は思います。
三つ目に、今日の例外は、明日の当たり前になる からです。
今回の判断は、一人の議員だけの問題では終わりません。
これからの川西市議会の基準となり、将来への前例となります。
次の誰かが同じ希望を出したとき、議会は断れるでしょうか。
「あの人はよくて、この人はだめだ」という判断は、議会にはできません。
一度認めたものは、ルールになります。
だからこそ、その場の雰囲気や個人への配慮ではなく、誰にでも公平に適用できる原則で判断しなければなりません。
この問題は、すべての市民の皆さま、全ての議員が納得できる答えはありません。どの立場からも、反論があるでしょう。
しかし、私は自分の考えを曖昧にしません。
今回の判断が将来の基準になる以上、「なぜ反対だったのか」を市民の皆さまに説明する責任があると考えるからです。
私は、プロレスの大ファンです。リングでは、観客を楽しませることが求められます。リングの上では、覆面はその人の生き様であり、誇りだと思います。
ですが、議場では、市民の皆さまの人生を左右する決断が求められます。
立つ場所が違えば、背負う責任も違うはずです。
私は、これからも顔を見せて立ち続けます。
名前を背負い、市民と向き合う。
それが、市民の皆さまから託された者の責任だと信じています。
岡田龍太郎

